日々このようにショッキングなニュースが飛び込んで来ます。
なぜこうした事件が起こってしまうのでしょうか。
私自身「お前は橋の下で拾って来た子だ」と幼い頃父親から言われ、それをずっと引きずりながら生きて来ました。だから怒鳴られたり叩かれたりするんだ・・・。そんな風に考えて育ちました。
そのためか、父親が亡くなった時にも、悲しさはこみあげて来ませんでした。
暴力や言葉だけではなく、無視や育児放棄などの行為は、一生子どもの心に傷を残します。
この記事では、置き去りにされた3人のお子さんの事件を通して、虐待が何をもたらすのか、防ぐにはどのような支援があるのかを共有したいと思います。
「子どもがベランダで泣き叫んでいる」——現場は30℃超の真夏日
「ベランダでお父さん、お母さんと泣き叫んでいる」自宅に子ども3人置き去り…両親を逮捕 子どもたちは熱中症疑いで搬送 札幌市 yahooニュース
2025年7月16日、北海道札幌市豊平区で起きた事件は、私たちすべての大人に深刻な問いを投げかけました。
6時間半もの間、両親に置き去りにされた3人の幼い子どもたちが、灼熱の室内とベランダで「お父さん!お母さん!」と泣き叫んでいたのです。
通報を受けて警察が保護した時、子どもたちは熱中症の疑いで搬送されました。
幸い命に別状はなかったものの、この事件が示したのは「虐待は特別なことではなく、日常の一瞬にも潜んでいる」という現実です。
虐待は“行為”だけではない|無関心こそ最大の暴力
児童虐待は殴る・蹴るといった暴力だけではありません。
今回のような「ネグレクト(育児放棄)」も重大な虐待の一形態です。
心理学的には、ネグレクトは子どもの愛着形成に深刻なダメージを与えるとされており、自尊心の欠如、不安障害、うつ症状など、人格形成全体に深く影響を及ぼします。
脳科学的にも、慢性的なストレスは海馬の発達を阻害し、記憶力や感情調整に問題を残すことが確認されています。
このような「見えにくい虐待」は、外傷がない分だけ周囲の支援も遅れがちです。
あなたの身近にも、誰にも気づかれずに苦しんでいる子がいるかもしれません。
育てられないなら、頼れる場所はある|日本と海外のセーフティーネット

「子育てが限界」と感じた時、孤立せずに頼れる社会資源があることを知っておくべきです。
日本の制度
- 児童相談所(189):24時間通報受付。匿名相談可能。
- 子ども家庭支援センター:育児に関する不安、疲れ、虐待予防まで幅広く対応。
- ショートステイ制度:親の病気・ストレスなどで一時的に子どもを施設や里親に預けられる制度。
海外の先進事例|育児を支える社会の仕組みとは?
日本での育児支援が課題となっている一方で、海外では親が安心して子育てできるような制度が数多く整備されています。ここでは、特に注目すべき3か国の事例を紹介します。
スウェーデン:子育て支援のロールモデル
スウェーデンは「世界一子育てしやすい国」とも称される国です。その理由は、充実した育児制度にあります。例えば、
- 両親に合計480日の育児休暇(有給)
- 父親専用の育児休暇(90日)は取得しないと失効
- 子どもが1歳になるまで、週15時間までの無料保育が提供される
これらの制度により、親が子どもにしっかり関わりながら、仕事復帰もスムーズに進められる仕組みが構築されています。
ドイツ:社会全体で育児を支える文化
ドイツでは「エルテルンゲルト(Elterngeld)」と呼ばれる育児手当が最大14か月間支給され、夫婦で育児休業を分け合うと手当の期間が延長されます。また、地方自治体と連携して保育所が確保されており、「待機児童問題」は極めて少ないのが特徴です。
さらに、子育て相談センターや無料の育児コーチング制度など、地域に根ざした支援体制が整っています。
フランス:貧困世帯への迅速な支援
フランスでは、出産後すぐに「カフェ(CAF)」と呼ばれる家族支援機関が家庭と接触し、育児支援金の申請や相談窓口を一元化しています。特に注目すべきは、低所得世帯向けの現金給付と住居手当で、家庭の経済状況に応じて柔軟な支援が行われます。
また、ベビーシッター代の補助や、地域での母親向けグループケアなど、多様な家庭状況に合わせた制度が充実しています。
子どもの命を守れるのは、制度だけではない——“あなた”の気づきがカギ
私たち一人ひとりの関心が、子どもの命を救うことがあります。
近所で泣き声が聞こえる、子どもがいつも疲れている、そんな小さな違和感に気づく力を私たちは持っています。
「これは自分の問題じゃない」と見過ごすのではなく、「もしかしたら」と一歩立ち止まることが、子どもたちにとっての救いになります。
最後に:親になることの責任と、社会のあり方
誰もが完璧な親にはなれません。けれど、子どもに危害を加えないこと、守る努力をすることは最低限の責任です。
もし育てられない状況や環境にいるなら、育てないという選択も「子どものため」になることがあるのです。
私たち社会がすべきなのは、親を責めるだけでなく、「支える文化」を広げていくことです。
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